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アブラヴァネルのマーラー/交響曲第7番 |
見事なまでに悩みなど感じさせない演奏(戻る)
結婚前の一時期マーラーばかり聴いていた時期がありました。 マーラー漬けのような日々でした。毎日の通勤時間、カセットテープに録音したマーラーの交響曲をウォークマンで聴き、そして決まって週末は第9番の交響曲を固定的に聴いていたような時期もありました。 その第9の当時のお気に入りはノイマン/チェコフィルでPCM録音されたものでした。 でも今回は第9ではなく第7番、ノイマンではなくアブラヴァネルについてです。
まず第7番の交響曲について。 この曲、柴田南雄さんの岩波新書「マーラー」では、アイディアの枯渇による見劣りが感じられることを完全に否定するのも難しいと書かれているのですが、(もう閉じられてしまったようですが)この曲だけのサイトがあったり、傑作と評しているサイトも数多く見受けられます。 中央の楽章にスケルツォを配置し、ここを頂点とした5つの楽章による曲の構成こそ整っているようですが、実際に聴いてみると各楽章がバラバラな印象も持ちます。 そして終楽章。 マーラーにしては実にあっけらかんとした明るい音楽で、明らかにこれまでのマーラーの作風とはちょっと違う感じもします。 これを受け入れるかどうかで評価が変わってくるのかもしれません。 僕自身は嫌いな曲ではありませんが、かといって頻繁に聴くかというとそんなに聴きたいと思うような曲でもありません。 難しい、というのが正直なところですね。
次にアブラヴァネルについて。 この人、ギリシア人でベルリンでクルト・ヴァイルに師事し、ユタ交響楽団をアメリカ有数のオケに育て上げた人というのはよく知られたことですが、いかんせん日本での人気はほとんどありませんね。 日本ではアメリカのオケの指揮者というだけでクラシックの本流から外れたイメージですし、さらにユタ州は砂漠のイメージ、もっというとモルモン教の聖地ソルトレーク・シティのオケっていうだけで「あなたは神を信じますか?」というレッテルがついてしまいます。 それでもね、出てくる音楽がエキセントリックなら注目度もちょっとはアップするのでしょうけど、音楽もこの正反対。 中庸で温厚、誠実な音楽ですから、ちょっと聴くと何の変哲もない音楽って切って捨てられてしまうようです。 でもね、見栄を切って耳目を集めるのはある意味簡単なのでしょうが、中庸・温厚・誠実で30年以上もオケを続けるのって並大抵のことでは出来ないでしょう。 しかも大量の録音も残していますからね、よほど良好な関係がないと難しいと思いますよ。 だからと言ってすべての録音が良いとも言いませんけど、少なくとも変なレッテルを自ら貼って敬遠することはないと考えています。
そしてやっと本題。 アブラヴァネルによるマーラーの第7番の交響曲です。 これ、はっきり言ってファースト・チョイスとしてお薦めする演奏だとは思いません。 しかし、これほどまでにマーラーらしくない交響曲も実に珍しいんじゃないでしょうか。 第7番は難しい曲だと上で書きましたけど、見事なまでに悩みなど感じさせない演奏ですね。 普通には弛緩した演奏と言われるかもしれませんけども・・・ とにかく終楽章なんて管楽器の響きがブラスバンドの演奏のように朗々としているので思わず笑ってしまいたくなります。 さぁ悩んでないでLet's Goデス… な〜んて言おうとしているのでしょうか。 マーラーは常に死と向き合い、色々なことに葛藤し続けたというイメージを見事に払拭してくれるような演奏です。
ところで最初にこの録音を聴いた時の印象は特に残っていません。 多分、変な演奏、下手っぴ、なんて思ってCD棚に収めたと思います。 オケの精度も低くて、その時の感覚は間違っていないと思いますけど、最近は許容量が増したのでしょうか、このような演奏がとても面白く聞けてしまいます。 そして今はアブラヴァネルの指揮する第5番や第6番の演奏も聴いているのですが、これらも基本的にマーラーにおける死や諦観といった思い入れや熱気・情熱といったものから一線を画した演奏になっていますね。 これを許容できない人はいっぱいいると思いますが、普通の演奏にアキたらこのような視点からマーラーを眺めてみるのもまた興味深いのではないでしょうか。 特に第7番はそのような方にはお薦めかもしれません。バークシャで捕獲した Vanguard Classics の輸入盤