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武満徹「カシオペア」/石井真木「遭遇U番」 |
かつての前衛音楽も今や懐かしのサウンド(戻る)
京都市交響楽団第465回定期演奏会(指揮:岩城宏之)で、昨年惜しくも亡くなった石井真木の「響層」が演奏されました。 この演奏会には行けませんでしたけれど、出谷啓さんによる演奏会評を読んで唸ってしまいました。 ちょっと長い引用ですけれど、以下に抜き出してみます。
「石井作品についてだが、この曲には部分的にオーケストラ・パートが、各奏者の即興に任されるところがあり、かつて在りし日の前衛であったことが、懐かしく思い出される。岩城にとっても青春の血を滾らせた、思い出深いナンバーだったに違いない。(中略)かつての前衛音楽も、今や懐かしのサウンドと化し、我々オールドタイマーには、ノスタルジックに迫って来る。ちょうどかつての若者たちにとっての、ロックンロールやグループ・サウンズのような存在になってしまった。」
残念ながら僕は「響層」という曲を聴いたことはありませんし、また、前衛音楽をロックンロールやグループ・サウンズのような存在にまでは思えないのですけれど、現代音楽という言葉からは、1970年代の前衛音楽がストレートにイメージされてしまいます。 最近流行のヒーリング・ミュージックのような現代音楽に、なんとなく違和感を持っていたのはやはりオールドタイマーだったのかもしれませんね。 う〜む。
さて、この評を読み、さっそく武満徹「カシオペア」と石井真木「遭遇U番」の入ったレコードを引っ張り出してきました。 確か1972年だったかしら、日本レコード・アカデミー賞の邦人作品部門の賞を取っていたと記憶しています。 クラシック音楽を聴き始めて間もない頃でしたが、その記事を見て、お年玉をはたいて買った懐かしいレコードです。 何度も聴きましたよ。 もちろん昨年4月、石井真木さんが亡くなったときにも引っ張り出して聴いていました。 僕にとっては青春の音楽の一つかもしれませんね。
武満徹の「カシオペア」は、当時大人気だった打楽器奏者ツトム・ヤマシタ(山下勉、元大阪フィルの奏者だったはず)を念頭に作曲された曲。 打楽器ソリストを中心に、オケの木管・打楽器群を4つに分け、星座のカシオペア座のごとくW字に配置させたことからこの名前になっているそうです。 金管楽器は舞台後方、左右に別れた弦楽器は、カシオペアを取り巻く星座とのこと。 そしてソリストのスチール・ドラムを中心にしたインプロヴィゼイションに、オケの金管楽器はマウスピースを外して吹いたヒューヒュー音、木管楽器も入ってベルの部分を手のひらで打つ音、弦楽器も胴の部分を指でたたくなど、まさしく音の饗宴。 聴く側も、どれだけイマジネーション豊かになるのか試されているのかもしれません。
石井真木の「遭遇U番」は、雅楽とオーケストラの饗宴。 ちなみに遭遇T番は、尺八とピアノの出会い(遭遇)として1970年に作曲され、横山勝也と園田高弘により翌年初演されているそうです。 さて、雅楽とオーケストラの出会い(遭遇)ですが、まさしくぶつかり合い。 フレーズらしいものは無く、色々な響きを持った単音が密集して新しい響きを導き出します。 常に緊張感を強いられる曲なのですけれど、耳を覆いたくなる寸前でそれは回避され、不思議な感覚を味あわせてもらえる曲です。 解説によると、トーン・クラスターという手法が駆使されているとのことですね。 最近流行のヒーリング・ミュージックのような現代音楽とは対極を成す音楽でしょう。
でも僕にとっての現代音楽はやはりこちらですね。 毎日聴きたいとは思わないけれど、日々の仕事で疲れた週末、モーツァルトやヒーリング・ミュージックもいいけれど、時にはこんなレコードをひっぱり出し、使わない脳ミソを刺激すると活性化するんじゃないだろうか、なんて思ってしまいます。 かつての前衛音楽も今や懐かしのサウンド、そんな言葉に唸ってしまう僕もやはりオールドタイマーなのでしょうね、きっと。