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カラヤン/フィルハーモニア管のシベリウス交響曲第2番 |
壮年期のカラヤン特有の押しの強さ(戻る)
学生時代はかなり徹底したアンチ・カラヤンだったけれど、このところカラヤンのレコードを見つけるとつい買ってしまう。 このレコードもカラヤン・ベスト・1500として出た廉価シリーズの1枚。 ジャケットには「最新の技術によりモノーラル録音をステレオ化したものです」との但し書きがあってちょっと逡巡したが 90円ならば、と捕獲した。 安いのでそれなりに納得しようと思ったのだけど、さらっと聴き流すつもりが、ぐいぐいと惹き込まれていった。 これは実に熱い演奏だった。 また危惧していた録音もきちんとしている。 古い雑誌(週刊FM)の切り抜きを調べてみると、これと同時に出たシリーズはみな擬似ステレオだったが、これのみ違ってステレオ録音とのこと(ジャケットの記載ミス)。 念のためにまた別の雑誌で調べてみたら1960年の録音であるらしい。 おまけに、カラヤンがフィルハーモニア管を振った最後の録音が1960年の「プロムナード・コンサート」とのことなので、このシベリウスの交響曲第2番はその前に位置づけられる演奏だろう。 道理で息のよくあった演奏を聴かせてくれるわけだ。
全曲を通じて、後年のカラヤンに通じるアンサンブルを丹念に磨きあげてゆく技はここでも聴き取れるけれど、それよりもまだ壮年期のカラヤン特有の押しの強さがそこかしこに顔を覗かせ、じつに熱い演奏を展開している。 第1楽章の冒頭こそ颯爽としたアンサンブルの妙を聴かせてくれるが、次第に熱くなってきて、なんのてらいもなくぐいぐいと音楽が押し寄せてくる。 自信のようなものを感じる。 第2楽章は変幻自在といった感じがする。 しかも勝手気ままなのではなく、徹底されたアンサンブルの集中力の高さによって抑揚の大きな音楽をつくっている、そんな感じ。 咆哮する金管楽器や唸る低弦もすごいが、それが全体の音楽の流れから突出することなく、ハーモニーの一部となって諄諄と流れてゆく巧さがある。 第3楽章は一気呵成に聴かせてくれるエネルギッシュな部分と、すっと場面転換をして哀愁を感じさせるメロディアスな部分を交互に折り込んで聴かせて巧い。 ぐいぐい盛りあがってきて突入したフィナーレはじつにロマンティックである。 後年はレガートが鼻につく場面もあったのだけれど、若いカラヤンには音楽に腰の強さ・粘りのようなものが優って情熱的な感じがする。 ちょっと遅めのテンポ設定で、悠揚とした大きなフィナーレを形成して幕を閉じる。
カラヤンの色々な録音を買ってきては聴いているが、それぞれに発見があって面白い。 単なるブームにのって稼ぎまくっていたスター指揮者ではなかったことにようやく気付いたこの頃である。