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リヒターのハイドン/驚愕・時計交響曲 |
推進力のある引き締まった演奏(戻る)
血気盛んな若者には理解しがたい音楽かもしれませんね、ハイドンは。 自分を振り返ってみてもハイドンをしっかりと聴けるようになったのはここ数年のことです。
厳格で構成感のしっかりした音楽ならベートーヴェン、悦楽感を楽しむならモーツァルトに流れてしまって、ハイドンって言うと、バッハとこれらの作曲家結ぶ橋渡し的な存在。 交響曲の生みの親として有名だけど、驚愕交響曲にしたって、こんな音くらいで吃驚するなんて時代遅れもはなはだしい・・・そんな感じで興味を引く存在では正直ありませんでした。 ここ数年大きく見方が変わってきたのは加齢による落ち着き? そんな風には全く思いませんけど、自分の中で興味の対象が移ってきていることは確かです。さてこのレコード。 帯広の学生時代に買ったバッハのヨハネ受難曲に大いに心動かされ、何度も買おうかと迷ったレコードです。 結局買わなかったのはハイドンってつまらない、という先入観に他なりません(なおリヒター没後にすぐに廃盤となり、2,000円盤で復活したのも許せませんでした)。 ようやく先日、 レゾナンスの1,500円の廉価盤を200円の中古レコードで捕獲しました。 捕獲まで約25年かかったことになりますね・・・でもまだ全く落ち着いてませんけれど。
さて、この驚愕・時計の両交響曲。 いずれも、いかにもリヒター、といった感じの演奏。 構成感のはっきした演奏にはスピード感と推進力があり、どこかバッハ的な厳格さも漂ってきます。 1961年録音だからこの時リヒターは35才でしょうか。 すでにミュンヘン国立大学の教授を務め、ミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団も組織していたとはいえ、ベルリン・フィルを振ったこのハイドンの素晴らしい演奏に今さらながら吃驚しました。 ちなみにリヒターによるハイドンの交響曲はこの2曲しか残されていないみたいですね。
時計。 第1楽章のプレストなど抒情的な要素を垣間見せながら有無を言わさず曲の中にぐぃぐぃと惹き込みます。 第2楽章の時計のリズムは優美に展開するけれど終結部ではリヒターらしさでちょっと強引に押し切る感じでしょうか。 第3楽章はフルート時計の音楽だそうですけどまさにポリフォニー的な響きで満ちてます。 終楽章は第1楽章同様ですがより精緻に楽器を鳴らしてコーダを築いて、全体としてしゃきっと背筋の伸びるような演奏です。
驚愕。 第1楽章は強靭な低弦やティムパニに支えらて力強く推進。 第2楽章は厳格な感じのする変奏曲が展開されます。 第3楽章も力強いメヌエット。 終楽章は推進力のある演奏で、全体として力強さに爽やかさが同居した演奏でしょうか。
個人的には時計のほうが好きに思えるのは僕と曲との相性でしょうか。 とにかくいずれの演奏も推進力のある引き締まった演奏には違いありません。最後に蛇足ですけれど、ジャケット解説の浅里公三さんの文章になるほどと思ったので引用しておきます。
ハイドンは古いものを肯定し、包容していく作曲家で、革命家ではなかった。 しかし彼はつねに発展した。 彼ぐらい進歩の跡をその作品の中に的確に見とることのできる作曲家もすくないであろう。 彼はつねに先人から学び、晩年になってからでさえ、後輩モーツァルトを学んで自ら進歩した。