安田の部屋へようこそ 〜 クラシック音楽(BQクラシックス)やフロンテクーペ、南沙織など「裕隆の部屋」を中心にした家族のページです。 ブログ「アマオケ大好き、クラシック大好き」も始めちゃいました。
TOP演奏会感想文廉価LPコンサートホールLP廉価CD資料室掲示板
自動車ゴミ箱

(1) フロンテ号

昭和47年(1972年)製のスズキ・フロンテクーペという自動車に乗っています。 2003年11月の車検も無事終わりました。 島田自動車さん、今回もお世話になりました。
おかげさまで、2001年末の義父の葬儀のときには家族4人が乗って阪奈道路を数回往復。 2速で5,000rpmほど回すと快調に登ってゆきましたし、阪神高速も快走してよくがんばってくれました。 さて、問題はまたそれ以降また走ることなく大きな置物・プラモデルと化してしまっていましたが、2003年度の車検も通ることができ、見事に復活することができました。 ありがとうございました。  (2003.11.23)

スズキ フロンテクーペ GXCF

フロンテクーペ資料

(2) ベルリーナ号&サニー号

帯広で学生生活を送っていたころのスナップです。 多分1980年頃だと思います。 ステレオのアームの持ち主Y君の下宿前でY君が撮ってくれた写真をポストカードに焼いたものです(彼は写真部でした)。 2001年秋、かつてこのポストカードを送付した高校の同級生U君がスキャン・データを送ってくれましたのでここに公開します。
僕が手をかけている自動車は、アームの持ち主Y君が当時乗っていダイハツ・ベルリーナです。 このクルマはフロンテ号よりも古く1967年製の排気量1000cc自動車です。 ナンバーはなんと「大阪 5」(一応モザイク処理してます)。 趣きのあるスタイルが特徴的ですね。 当時は、ベロリーナとか、カエルに似ているのでケロリーナなんて呼ばれていました(笑)。

そして僕の後方に写っているのが、当時の僕の愛車B210改・サニー号です。 「隣のクルマが小さく見えま〜す」のCMで宣伝していたクルマです。 1976年製だったように記憶してますがよく覚えてません。 2ドア・セダンのデラックスというグレードでしたが、エンジンはサニーGX仕様のSUツイン・キャブのものに2度載せ替えました。 ミッションはポルシェ・タイプの5速クロス・ミッション(左上にバック、左下がロー・ギア、5速は減速比 1.0 のトップギアになっており、山道など2・3速を交互に使うときには便利です)。 なお2度目のエンジンはオイル漏れが発生したため、廃車になっていたGXからエンジンを拝借し、自分一人で交換しました。 このあとバルブ・スプリングは二重スプリングでしたが(ノーマル仕様はシングルでしたので)、この外側をノーマル仕様のスプリングに自分で交換、強化していました。 また足回りは前輪がドラム・ブレーキだったものをディスク・ブレーキに交換(ブレーキを素人が弄るのは違法ですが)、ストラットにエンジン・オイルを入れた強化サスペンション(冬になるとやたら足回りが堅くなるのは寒さのため)。 時々オイルが抜けるとオイルを足してオイルシールも交換するなど、部品表で確認して業者に混じって帯広日産の工場で部品をよく注文していました。 なお内装もGX仕様の6連メータ、シートはサニー・エクセレントのリミテッド・モデルのベルベット地のに交換してました。
お金はなかったけど、自動車部に所属していたので場所と工具類があり、何より時間がありあまるほどありました。 だから基本的な自動車整備、エンジン整備(ガスケット交換、シール交換など)は常時やり、これだけの改造をしても車検は消耗品以外はパーツ交換なしで通りました。 なお車検には、十勝農協連の整備工場にお世話になりました。 ここでは部車(クラブの保有車)の車検を出していたので、この時に整備を手伝わせてもらい、アドヴァイスを受けたことがとても役立ちました。 特に前輪から異音が出たときもスラスト・ベアリングじゃないかと指摘を受け、部車の車検のときのことを思い出して結局自分一人で交換しました(これも違法ですけどね)。
自動車整備士になればよかったかな? それとも、このサニー号で帯広-大阪間を何度も往復して徹夜運転には慣れていたのでトラック運転手になればよかったかな? と、今でもそう思うことがあります。

 (2001.11.2追加、2002.1.13補筆)